2025.09
五分でわかるぼくらの世界
(1)封建制がおわって、自由な社会へ
封建制の時代には人々の身分が固定されて百姓の家に生まれたものは代々百姓を継がねばならなかった。 しかし、封建制が崩れ、身分制度から人々が解放されて職業を自由に選択できるようになった。 この自由主義は素晴らしいものであったが、徐々にその弊害も生まれてきた。 確かに好きな人と結婚でき、好きな職業につく機会も与えられ、好きな所に旅行したり、余暇をすきに楽しんだり、この文章のように自由に自分の思いを発表できたり、芸術活動に自由にうちこんだり、 自由はとてもすばらしいものである。
しかし問題は、経済活動にもほぼ無制限の自由を与えてしまったところにあった。その結果どうなったか? 生産手段の独占が進んでしまった。例えば江戸時代。百姓は自分の田畑から自由な移動もできず年貢も厳しく取り立てられたが、 自分の田畑はちゃんと持っていたし、町ではそれぞれ自分の家が工場のようなもので、鍛冶屋さんは自分の家で鉄を打って鋤や鍬などを作ってお百姓さんに売り、 大工さんは家にある大工道具をかついで行って家を建て、織物職人は家ではたを織り、豆腐屋さんは家で豆腐を作り、それぞれの人にとってそれぞれの家が仕事場となっていたのだ。 もちろん商店も同じで、昔は今あるようなスーパーやデパートはなく、魚屋さん、八百屋さん、提灯屋さん、そば屋さんなどたくさんのお店が通りなどに面してずらっと並んでいた。
(2)産業革命から、資本家による生産手段の独占へ
しかし、江戸時代がおわって明治維新になると、西洋から産業革命の大波が日本にもやってきた。
大きな工場で、安く大量生産できるようになると、もはや個人営業のところはつぶれざるをえない。なにもかもが巨大工場で作られ、巨大ショッピングセンターで売られるようになってしまった。 昔はみな自分の家の道具と自分の腕一本でお金をかせぎ、暮らしていくことができた。 今、自分自身の家に生産手段をもっていて、自分一人で誰の世話にもならずにお金を稼げる人がどのくらいいる?
たぶん床屋さんとかお医者さんとか料理屋さんとかのごく少数のみが、家を仕事場にし、そこで自分の技術をふるうことで生活できている。 それ以外の人は、どんなに近代的な摩天楼のようなビルの中の仕事場に毎日通っていても、しょせんは無産者(生産手段を持たないいわゆるプロレタリアート)でしかない。 つまり首になったら即明日からの生活に困ってしまう人たちなのだ。
反対に、生産手段を独占する人たちも片方にいる。世に言う富裕層、超富裕層の人たちだ。 彼らが持っているものは、無産者がそこで毎日働いている工場であり、オフィースであり、たくさんの数のトラックであり、さらには電車も船も飛行機もすべて彼らのものである。
私は毎日自分が気軽に乗っている電車も、その鉄道会社の所有者(株主)の所有物であることを知って、学生の頃愕然とした思い出がある。 そうか、この車両も何もかも彼らの所有物なんだ!
片方に、生産手段を奪われ、会社にやとわれて働くしかない無産者がいて、反対の極には生産手段を独占する富裕層(つまり資本家)がいる。
わかりやすくたとえてみよう。資本主義の社会とはなにか。人々が経済活動で(自由に!)競争する社会である。 そこは生存競争の世界であり、弱肉強食の世界である。弱い者や弱い企業は次々に強いものの餌食になっていく社会である。 動物の世界にたとえれば、アフリカの大草原の動物たちに例えるのがふさわしいだろう。 彼らはもちろん思い切り自由な世界に住んでいる。 思い切り走り回ることもできるし、昼寝をしたり、草をはんだり、好きなことをしているように見えるが、油断するとあっという間に命を落とす恐ろしい世界なのだ。
(3)グローバル巨大企業による世界支配へ
前の章で書いたように自由放任のまま突き進んできた経済は、人類の1パーセントの富裕層が世界の全資産の半分近くを所有するほどまでに格差は拡大してきている。
しかも、この格差はそれぞれの国の中だけでなく、国と国のあいだにもひろがっている。 今南半球(グローバルサウス)の人たちが北半球(グローバルノース)の国々へ大挙して押しかけ、不法移民として大問題になっている。 なぜグローバルサウスの人たちは北のアメリカとかヨーロッパの国々に向かおうとするのか? それはひとえに南には仕事がない。つまりは産業がないということに尽きる。
だれもが自分の国で生きていけるのであれば国を出ようなどとは思わない。 しかし仕事がなければ、スラムに住んで、物乞いをしたり、ゴミあさりをやったり、ギャング団に入って強盗や殺人をしたり、そんな国にどうして住んでいられよう。
欧米などのグローバル企業は、アフリカなどの地下資源のあるところでは、それを安い値で買い占め、 それをもとに、特に東南アジアの人々を使って低賃金で長時間働かせ、そこで作らせた製品を世界中に売りまくっている。
そのようにして作られた高品質、超格安のグローバル企業の製品が流入すれば、南の国々がいくらがんばったところで、南の国々に産業が育つはずはないのだ。 産業が育たず、仕事につくことができず、極貧の生活の中、夢のような国アメリカやヨーロッパに不法移民としてでも行きたいと思うのは当然の心境であろう。
(4)共産主義の台頭と崩壊
人間はそもそも自分たちが住みやすいように自分たちが生きている世界をコントロールして生物界の覇者となることができた。 家を建て、服を着て、風雪から身を守り、エアコンなどで快適な生活空間を作り、 狩猟採取生活をやめて田畑で作物を作り、また養殖や酪農などをおこなって安定して食べ物を得るようになった。 このようにして人間は自分たちが生きやすいように少しずつ自然界をコントロールしながら、ここまで進んでこれたのだ。
しかし人間は、自然を少しずつコントロールできるようにはなったが、われわれ自身の社会をコントロールすることだけはできていない。 我々の社会は(自由な!)経済=自由競争・弱肉強食経済、つまりほとんどコントトールのできていない社会なのだ。
人間は大自然をコントロールするのと同様に、われわれの社会もコントロールできるようにならなくてはいけない。
このような考えのもとで、ドイツのマルクスは「資本論」や「共産党宣言」を著し、それにもとずいてレーニンはロシアに「ソビエト連邦」を樹立した。
そして、企業の私有はやめ、企業のほとんどすべてを公有化し、利潤追求を目的とする企業経営をやめ、国民みんなが豊かに暮らせるよう計画経済を推し進めた。
人間は優れた生き物だから自然界だけでなく、自分たちの社会もコントロールできるはずだ。 そのような理想に燃えてソ連邦は建国されたはずなのに、結果は惨憺たる失敗であった。
生産現場でのトラブルや指揮系統の乱れが頻発して計画経済が破綻すると、どんどん生産力も低下し、人間の汚い面が次々に表に出てくるようになった。 商品の品薄感がひどくなってくると、作ったものを正規の流通ルートにのせずに、自分たちで勝手に独占したり、さらには闇市場に送るようになっていった。 結果、正規の商店の棚には商品の姿はまったくなくなり、人々は生きるための必需品を闇市場で法外な値段で買わねばならなくなっていった。 そして人々の不満が高まってくると、政府を批判する自由な発言を封じ込め、反対派を摘発してシベリア送りにしたり、闇から闇へと葬っていったのだ。
ソ連邦がやったことは、目的はよかったが、結局人々をさらに苦しめるものであった。 動物たちの姿に例えると、アフリカの大草原に生きる自由な動物どころか、ソ連邦の人たちは狭い動物園のなかの動物たちではなかったか? かれらは狭い檻の中に閉じ込められて自由を完全に奪われてしまった。狭い檻から逃げ出すこともできず、エサさえ満足に与えられない恐ろしい動物園に似ている。
(ソ連は崩壊して、ロシアという資本主義国になったが、中国は共産主義の旗をまだ降ろしていない。でも内実は共産主義どころか自由競争の資本主義社会と全くかわらない。)
危険がいっぱいの大草原も、狭い檻の中で一生過ごさねばならぬ動物園も動物たちはごめんだろう。
最近はやりのサファリパークのように、 危険は最小限にして、しかも自由に快適に過ごせる環境こそ動物にとっても人間にとっても一番ではないだろうか。
(5)目指すべき未来
2013年にバングラディシュで不法に建て増しを重ねた巨大縫製工場ビルが倒壊した。 ここでは欧米などの富裕国の女性たちを主なターゲットとした27社もの有名ファッションブランドメーカーが操業していたそうだ。
そしてこの事故の結果、1000人以上がビルの下敷きになって死亡し、そのほとんどがこの不法建て増しをかさねたこのおんぼろ工場の中でミシンを踏んでいた若い女性たちであった。
このような悲惨な例が示す通り、グローバル企業は労働力を南の貧しい国々に求め、そこで低賃金で大量生産を行っている。 もちろん売る相手は北の豊かな国々であり、それらを作った南の人々は、北で使い古された中古品が回ってきて初めてそれを手にすることができる。
そのなかで「国境なき医師団」などががんばってはいるが、貧困の中で満足な医療も受けられずに死んでいく人々、子供たちも多い。
政治体制で南の国々はもはや植民地ではなくなっても、相も変わらず経済的には北の国々の植民地と変わらず、いいように利用され続けているのだ。
上記の崩壊した縫製工場では、不法に建て増し建て増しを重ねた八階建てのおんぼろ工場に三千人近くの若い女性たちを詰め込んで仕事をさせていたらしい。 それなら、安全でゆったりした建物にゆったりした人数でゆったりした時間働けるような工場をあちこちにたくさん作れば、同じだけの量の服が作れるではないか?
でも、利潤追求を目的に運営される現代の企業にはそれが無理であることは明らかである。
だって、そんなことをしたら経費ばかりかかって利益が出ないから、ほかの企業に負けてしまう。自由競争社会では勝ちぬけないのだ。 安全でゆったりした建物にゆったりした人数でゆったりした時間働けるような工場やオフィスが世界中にたくさんできて、みんながそこで働けるようになったら!
(6)それではどうしたら?
人間は、自然界をコントロールすることにある程度成功したように、我々の社会もコントロールできるようにならねばならない。
すべての人が、豊かな暮らしができるように、現代のすばらしい技術の恩恵をみんなが手にできるように、社会をコントロールできるようにならねばならない。
でも、自由主義(資本主義)のもとでは、ますます格差が拡大するばかりだし、 そんな資本主義に挑戦していった共産主義の国々ももののみごとに崩壊してしまった。これが今のわれわれのいつわらざる姿である。
それではどうするか?
ここまでくれば解決策は一つしかないことがわかるはずである。
つまり、コントロールするのは人間ではなく、コンピューターにまかすこと。これしかない。
もちろんまかすのは、経済活動のみである。企業活動を利潤追求というしばりから解放して、すべての人々の生活向上のために活動させることである。
もう忘れている人も多いと思うが、昔アフガニスタンで戦争があったとき、 日本人の中村哲医師は、最初戦争の犠牲になったけが人などを救うために活動していたが、 戦争の本当の原因は、人々の貧困にこそあると考えて、医師としての活動をストップして、アフガニスタンでの水利事業にのりだした。
そして、雨の少ないアフガニスタンの平野に水を引き、それまで荒地だったところを、作物の取れる農地に変えていった。
人々は南の国々への援助事業として、まず食糧援助などを考えるが、飢えた人々に食料を与えるのも大事かもしれないが、一番大事なのは中村医師が行ったことなのではないか。
そう、食糧援助は与えたらそれでおわりだが、中村医師がめざしたのは、アフガニスタンの人々自身の手で食料を生産することだった。
水と電気と道路などは、産業を発展させるためにはなくてはならない基本的なインフラだが、このようなインフラ整備には莫大な費用がかかる。 しかし、北の国々や北の企業は、このような費用ばかりかかって一文の得にもならないことはやろうとしなかった。 せいぜい、貴重な地下資源を自分の国に運んできたり、自分の国で生産した物をその国で売るために、港や道路や鉄道を作ってあげたぐらいではないか。
北の国々の土木企業や建設企業などは先頭に立って、南の国々のインフラの整備を何よりもまず先にすすめていく必要があると思う。 そうすれば、どんな貧しい国にも、工場が立ち、都市ができ、そのまわりには農場や牧場などのさまざまな生産拠点ができてくる。
世界のすべての人々が生産活動に従事して、みんながそれに見合う労働報酬を手にすることができれば、
すべての人々が豊かな生活を送れるようになることも夢ではない。
ほかの人はどうであれ、自分はもっと儲けたい、もっといい暮らしがしたいという人間の業(ごう)が、資本主義を支えてきたし、また共産主義を破滅に追い込んだもとでもある。
そのような人間の業からコンピューターは自由になれる。
今のコンピューターは人間の業のもと、いかに自分の企業を成長させるか、いかにもうけさせるか、という自分の企業のためにしか使われていない。
われわれ人類は、全世界がネットワーク化された今のコンピューター社会で、その技術を社会進歩のためにはたして本当に有効に使うことができるようになるのだろうか?
※今までの社会常識にとらわれていたら世界は一歩も進まない。まずはいままでの経済常識をすべてひっくり返さねばならない。
最終的には貨幣経済は消滅するべきなので、株券・債券もなくなるし、究極、貨幣さえなくなるだろう。
なぜなら、例えばある部品工場では製造に必要な原料を送ってもらい、そこから部品を作り、それを次の生産工程(工場)に引き渡すだけなので貨幣が介在する必要がないのだ。
グローバルネットワークのセンターとなるコンピューターシステムのもとで、 全世界の需要見通しをもとに、各々の企業の生産活動等の調整がおこなわれ、各企業はそれに基づいて生産等を行えばいいだけだ。 もちろんこのコンピューターシステムはすべての人に可視化され(つまりブラックボックス化されてはならない)、しかも完璧なガードが装備されねばならない。
※人々のスマホ口座に労働報酬がセンターからポイントでふりこまれ、商品を買うとその商品のポイントがその人の口座から引き落とされる。 もちろん労働報酬のポイントも、商品の購入ポイントもコンピューターによって適切に設定される。
仕事をさぼってばかりの人間は減額され、人の嫌がる仕事(いわゆる3K労働など)を頑張っている人は増額されるだろうが、
基本、みんなが作ったものを、みんながほぼ平等に手にすることができればそれでいいのだ。
※競争がなくなると、技術や文明の発展が止まってしまうという意見をよく耳にするが、技術や文明の急激な発展は結局のところ人類の滅亡を招くだけだ。
文明の発展などボチボチペースで結構ではないか。
石炭石油の化石燃料から自然エネルギーへの転換も、利潤第一の縛りから解放されたらすぐにでも実現可能だろう。
また、現代文明の発展の先導を担ってきた兵器産業などは特にいらない。(核を含むすべての兵器の解体産業に転換した方がよい!)
(もしも戦争をしたかったら、これからはこん棒と弓矢でやったらよいのだ。)
なぜなら、例えばある部品工場では製造に必要な原料を送ってもらい、そこから部品を作り、それを次の生産工程(工場)に引き渡すだけなので貨幣が介在する必要がないのだ。
グローバルネットワークのセンターとなるコンピューターシステムのもとで、 全世界の需要見通しをもとに、各々の企業の生産活動等の調整がおこなわれ、各企業はそれに基づいて生産等を行えばいいだけだ。 もちろんこのコンピューターシステムはすべての人に可視化され(つまりブラックボックス化されてはならない)、しかも完璧なガードが装備されねばならない。
※人々のスマホ口座に労働報酬がセンターからポイントでふりこまれ、商品を買うとその商品のポイントがその人の口座から引き落とされる。 もちろん労働報酬のポイントも、商品の購入ポイントもコンピューターによって適切に設定される。
仕事をさぼってばかりの人間は減額され、人の嫌がる仕事(いわゆる3K労働など)を頑張っている人は増額されるだろうが、
基本、みんなが作ったものを、みんながほぼ平等に手にすることができればそれでいいのだ。
※競争がなくなると、技術や文明の発展が止まってしまうという意見をよく耳にするが、技術や文明の急激な発展は結局のところ人類の滅亡を招くだけだ。
文明の発展などボチボチペースで結構ではないか。
石炭石油の化石燃料から自然エネルギーへの転換も、利潤第一の縛りから解放されたらすぐにでも実現可能だろう。
また、現代文明の発展の先導を担ってきた兵器産業などは特にいらない。(核を含むすべての兵器の解体産業に転換した方がよい!)
(もしも戦争をしたかったら、これからはこん棒と弓矢でやったらよいのだ。)