「終わりのない物語」祝一平  そうだな、もう、だいぶ昔のことになってしまったけどね。・・・・・・Z80という、今から思えばちっぽけな玩具のような8ビットCPUで、さまざまな夢を描いていた若者達がいたんだ。  彼らはたいてい無頼の輩(ハハハ)で、自分の腕だけを信じ、ほかの誰にもできないようなことをやってのけて、そしてニコニコと笑うのが大好きな奴らだった。プリフェッチやパイプラインもなく、たったの4MHzで拍動するチップの上で、まるで一輪車に乗りながらお手玉をするようにレジスタを操っていたんだ。  なんでそんなことをしていたのかって?うーん、・・・・・・きっと彼らはそうしている時間に、ちょっぴり暴走のスリルというスパイスをかけて、長いけど短いいくつかの夜を過ごすことを、ただそれだけを好きだったんだろうね。  *  ・・・・・・それがやって来たのは、突然といえば突然だったな。でも、まあ、なんというか、やっぱり必然でもあったんだ。  もう今はどこにも使われてないけど、8086という16ビットCPUがあったんだ。それと、8086とソフトでコンパチなんだけど、16ビットなのか8ビットなのかわかんない8088というCPUがあってね。それでね、日本では8086を使ったパソコンが、海の向こうのアメリカでは8088を使ったパソコンが登場したのさ。  ああ、大嫌いだったよ。虫酸が走ったね。特に"セグメント"という奴がね。あんなケチなからくりなんて最低だよ。ようするにエレガントじゃないんだ。小手先のゴマカシなんだよ。とりあえずは16ビットだったけど、でも、未来を見つめて作られたものじゃなかった。少なくとも"俺の未来"じゃなかったね。  でも、現実に5MHzの8086は、やっぱりそれなりの地力はあったな。だけど、最大の成功の理由は、本当はCPUのパワーじゃなくて、あのマシンが漢字VRAMを持っていたことだろう。あれのおかげで実用的な速度で漢字を処理することが可能になったんだ。その意味じゃ、あんまり馬鹿にはできないんだけど。  *  で、さ! そして、その頃から、おかしなことをいうオトナ達が現れ始めたんだ。つまりね、「漢字は16ビットコードだから、16ビットCPUマシンこそ日本語処理に適しているんですよ」なんてことを、したり顔で偉そうに講釈するオッサン達さ。  俺達はゲラゲラ笑ったよ、もちろん。そして、決して彼らの誤解を解いてやろうなんて思わなかった。だって、俺達は俺達で、オッサン達はオッサン達だったから。  そうだね、そして、きっとあの頃からだね。少しずつ、少しずつ、面白くないことやくだらないことが増えていったのは。つまりさ、オッサン達が、パソコンは金になる、と考え始めた頃さ。  あの頃はデタラメだったな。本当にムチャクチャだったな。俺もいろいろなデタラメを見たし、巻き込まれもしたよ。幸いなことに俺は結構カンが良かったからさ、運良く逃げ回ったけど。でね、逃げ回りながら、俺は少しずつ時代から取り残されていくZ80の上で、相変わらず一輪車に乗ってお手玉をしていたんだ。だから今でもお手玉には結構自信があるぜ、もちろん腕は多少錆びついちゃってるけどね。でも、まあ、普通に考えれば、アホだろうね。でもさ、そのアホも結果によるだろ。つまり、そうして待っている間に、やっとまともな16ビットパソコンが出てきたからね。  *  そりゃそうさ! 16Mバイトがリニアで、32ビット長のレジスタが16個なんだからね。だから、もう一輪車のお手玉なんかじゃなくなったわけさ。しかも、おまけにオッサン達のゴタゴタにかかわらずに済むというオマケ付きだったんだ。だって、オッサン達は目先の金儲けに夢中で、だから、あっちの方向だけを見ていたわけさ。何ひとつわかっていないくせに、"86系以外のCPUが成功するわけがない"なんて言い切ってさ。馬鹿だね。メジャーな方に追従すりゃあ、一番デカイ奴にハジキ飛ばされるに決まってるじゃないか。そんなこともわかってなかったんだ、オッサン達は。  つまり、ああ、つまりだな、ようするに、秘密の空き地みたいなものさ、たとえばね。子供達が何かの拍子に、誰からも見つけられない秘密の遊び場を見つけたと思ってごらん。そこには何でもあって、そして、何をしても咎められない、そんな原っぱさ。チャンバラをしようが、プロレスごっこをしようが、爆竹を鳴らそうが、なんでもできるだ。そんな場所を考えてごらん。全部をうまくはいえないけれど、でも、そんな感じが一番近い。上を見上げるとさ、真っ青に晴れ上がった空に、白い雲が流れているんだ。ただそこにいるだけでうれしくなってしまうような場所。そんな場所さ。  だけど、青空はいつまでも青空というわけにはいかない。秘密の原っぱといえども、容赦なく時間が流れるからね。結局夕方には子供達は家に帰らなければならないだろ。そんなときに、ハハハ、あの8086の子孫の"バケモノ"が待ち構えているわけだよ。  まったく狂ってるよ、まったく。マッドエンジニアだよ、あんなものを作り上げた奴らは、ほんと。リアルモードにプロテクトモード?それに仮想8086モードやらなんやらかんやら。あいつら、いったい何考えてんだ?  ・・・・・・それは違うと思うな。俺に言わせればあいつらはグルなんだよ、グル。新しいマシンを買わせるには、重いソフトを出して"標準"にすればいい。そうすれば、もっとクロックの速いCPUの載った、キャッシュも多く着いたマシンに買い替えざるを得ないだろ? グルなんだよグル。  *  たとえば、・・・・・・買ってもらったばかりの5段変則の自転車。・・・・・・明日から夏休みになる日の学校からの帰り道。もう、みんな忘れてしまっただろうけど、そんなようなことなんだな。おかしいかな? まあ、俺はアホだから、そんなことにいつまでもこだわってるのかもしんないけどね。でもね、そうだね。う〜ん、新しいアドレッシングモードにワクワクしたり、ビットフィールド操作命令をどうやって使ってやろうかと考えたりとかね。ちょっと変かもしれないけど、そういうことなんだ。  *  結局これは終わりのないお話なんだ。だから、いつまでたっても序章なんだよ。そういうことなんだ。  夢?そりゃまた陳腐な台詞だね。ま、そういう言い方もあるかもしれないけどね。  子供達はまだ知らない。大人達は忘れてしまった。